2009年

ーー−5/5−ーー 次女の部活

 次女が大学に入ってからおよそ1ヶ月。勉強の方はさておき、部活(クラブ活動)の勧誘への対応は忙しかったようである。どの部活も新人の獲得は急務だから、あの手この手で誘ってくる。説明会、体験会、飲み会、食事会などが相次ぎ、入学してしばらくの間は食事に困らないと言われるほど。一度顔を出したら覚えていて、学内で会うたびに食事をおごってくれるという、熱の入ったところもあるらしい。

 娘は幾つか調べた後、ヨット部に狙いを定めたもよう。試乗会でヨットに乗り、クルージングで無人島へ行ってバーベキューパーティーをやったのが楽しかったそうである。ちなみにこの新人歓迎イベントを始めた昨年から、ヨット部は一気に新入部員が増えたとのこと。

 別に親が口を出すことではないが、家内はもっと普通の部活にした方が良いとの意見だった。一般人にとって、ヨットはかなり特殊な世界に見える。また、金銭的にも負担が多いように想像するのだろう。しかし私は、大学に入って思い切り新しい事を経験したければ、ヨット部は最適なものの一つだろうと勧めた。他の部活なら、スポーツ系にしろ文化系にしろ、だいたい予想が付くものである。つまり、いままで経験してきたこと、見聞きしたことから大きく外れることはない。ヨットは、経験する機会もないし、また予想外の、あるいは予想をはるかに超える面白さがある。

 このコーナーで、今まで一度も触れてこなかったのが、自分としても不思議に思われるのだが、私は過去にヨットの経験があり、ヨットが大好きであった。

 大学を卒業して会社勤めを始め、まず最初に入ったのがヨット部であった。会社に在籍した年月の前半の数年は、ヨットに明け暮れていた。それまではヨットのヨの字も知らなかったが、練習を重ねるうちに上達して、日本ヨット協会のバッジテスト3級を取るまでになった。千葉県実業団のレースに参加したこともある。また国体ヨット競技の運営スタッフを務めたり、千葉市民ヨット教室のインストラクターをやったこともあった。

 動力を使わず、風の力だけで自由に移動できるヨットの面白さは、他に例えようのないくらいである。自然を利用してスピーディーに動くという点では、いささかスキーに似ているが、スキーは下から上へは登れない。ヨットは、風上に向かっても走ることができる。実に不思議な魅力に満ちている。また、爽快感がたまらない。自動車やオートバイに比べれば、大したスピードではないのだが、波の上を突っ走るときのスピード感は、おおいに興奮を誘う。船遊びというのは、それだけで楽しいものだが、ヨットにはその究極の楽しさがあるように思う。

 青空をバックに、風を受けてはちきれんばかりの、真っ白なメーンセール。水面下を疾走するイルカのようなセンターボード。風上に向かって良い風をつかむと、ブーンと鳴って闘志を鼓舞するサイドステー。タッキングをするたびにガラリと変わる景色。強風下でおこなうジャイビングのスリル。のどかな海面から、突然舞い込むトビウオ。全ての事が感覚を刺激し、楽しませ、そして肉体に惜しみない働きを求める。

 国内では、ヨットというと金持ちの道楽というイメージがあるようだ。しかし実際は、ヨットというものは純粋なスポーツであり、体も精神も鍛えるものである。けっして軽薄な遊びなどではない。千葉の館山湾で乗っていた頃、毎週末に出掛けるたびに顔を合わせるヨットマンがいた。その若い男は、一人で艇を砂浜に運び、艤装をし、乗り込んで沖に出た。そして一日中、セーリング技術の練習に余念がなかった。その孤独な励み方には、陸上競技などの練習と同じく、はた目には徒労と感じられるほどのストイックさがあった。

 娘の大学のヨット部は、70年の歴史があるという。そういう歴史の長い部活に籍を置くというのも意義のあることだと思う。学生生活は、勉強だけでなく、部活も重要なウエイトを占める。新しい世界に飛び込み、大きな収穫を得られれば良いと願っている。



ーーー5/12ーーー 新作のキャビネット

 先日完成した、注文によるキャビネット。クリ材を使い、注文主の希望により、着色塗装(オスモ・カラー)を施している。

 サイズは高さ700、幅500、奥行450である。上に置く物、中に入れる物、そして隣接する家具の寸法に合わせて、このサイズを決めたとのこと。

 本体を組み手を用いた「板指し」で作り、引出しと扉を「仕込み」で納めるという、私の定番的手法である。板の厚みは8分(24ミリ)。クリ材は、私が使う材の中では比較的軽い方だが、この頑丈な構造は、総重量20キロ近くになる。

 引き出しと扉の取っ手は、シュリザクラ材を使っている。取っ手は手垢で汚れる心配があるので、色の暗い材を使うことにしている。シュリザクラは、色が濃いだけでなく、手触りも良いので、私が作る家具の取っ手に登場することが多い。

 引き出しのスライド機構は、「吊り桟」というものを採用している。引き出しの側板の溝が、キャビネット本体に組み込んだ桟にはまって、吊られている形である。奥行き方向の位置は、引き出し前板の裏面が、桟の前端に当たって止まるようになっている。板指し構造は、本体の膨張・収縮(湿度変化による動き)が大きい。引き出しの奥の突き当りで位置決めをする方法だと、経時変化によっては、引き出しの前面が出っ張ったり、引っ込んだりして見栄えが悪くなる。

 いずれも私にとっては手慣れた手法である。そんな中で、今回特別なことをやったと言えば、扉の内側の棚の作りである。

 上の棚は、前後にスライドできるようになっている。仕込みの扉は、開いても扉の厚みの分だけ間口が狭くなる。それを考慮しないと、棚を引き出すことができない。そこら辺の細工が、ひと工夫である。

 下の棚は、途中で折れている。まるで書院造りにあるような棚の形である。背が高い本と、低い本を、効率よく収納するというアイデアらしい。このような棚を作ったのは初めてであり、実際に上手く機能するかどうか確信が無かった。それで、不要になったら、あるいは邪魔になったら、取り外せるような仕組みにした。

 連休中のある日、注文主ご夫妻が旅行の途上工房に来られて、塗装中だったこのキャビネットをご覧になった。旦那さんは、図に描いて注文したものが、実際にこのような感じに出来上がったのを見て、いささかの感慨を持ったようであった。現物の存在感というものであろうか。



ーー−5/19−ーー FM長野に登場

 地元ラジオ局、FM長野の番組に出演した。といっても、生出演ではない。アナウンサーが私の工房へ取材に来て、インタビューを録音し、それを4回に分けて放送するというやり方である。番組の中で私が出るコーナーは10分ほど。その内私の話が流れるのは5〜6分だから、4回ぶんで20数分の出番となる。そのための取材に要した時間が、およそ2時間であった。

 2007年の2月に、別の局の番組に、これは生放送で出演したことがあった。それが生まれて初めての経験で、それなりに頑張ったのだが、録音した放送を後で聞いたらがっかりした。想像していたのと比べて、ひどく冴えない話しっぷりだったのである。

 その時の反省として、二つの事を肝に銘じた。一つは、声を普段より大きくし、はっきりと喋るということ。もう一つは、リスナーに向かって喋るのではなく、目の前のアナウンサーに向かって喋るということ。この二点に気を付けるだけでも、ずいぶん改善されるはずである。

 取材に来たアナウンサーのK氏と、まず話の筋道などについて打ち合わせをした。私が出るのは、長野県在住で、特定の方面で頑張っている人を紹介し、その話を聞こうというコーナー。今回は私の本の出版にからめて、木や木工仕事について語るという趣旨であった。

 K氏は、「生放送じゃないから、あまり気を使わずに話して下さい。後で編集をしますから、ミスをしても大丈夫です」と言った。

 それでも、いざ録音機材にスイッチが入り、マイクを向けられると、緊張する。K氏の話し方や表情が、いきなり仕事モードに入ったように感じた。それを見て、いささかドギマギした。「外した」と思うと、余計に力が入ってしまう。出だしはちょっとつまづいた。

 K氏の方も、最初は私の対応に不安があったのだろう。ちょっと表情が硬いように見えた。しかし、じきに調子が出てきて、会話がうまくかみ合うようになった。ここで前回の反省点が生かされたようだ。K氏との会話に徹するようにすると、言葉が上手く繋がるようになる。ちょっとは気の利いた言い回しも浮かぶようになった。話しというのは、聞き手に導かれて展開するものなのだ。あらかじめ準備した事を喋ろうとすると、かえって言葉に詰まってしまうことになる。

 録音取りが終わり、K氏は「番組をおたのしみに」と言って帰って行った。私は内心不安であった。出だしのつまづきが、どうしても気になった。

 第一回目の放送を聞いた。即座に、軽い驚きを感じた。じつに上手く編集されていたのである。へまをやった部分はカットしてあった。そして、いくつかの話を切り貼りして一つにつなげ、あたかも私が立て板に水の如く話したかのように出来上がっていたのだ。これは恐らく、リスナーが聞き易いようにとの配慮と、時間を有効に使うということを意図しているのだと思う。が、私にとっては、そのような編集のおかげで、一人前のコメンテイターのような錯覚を覚えるほどだった。

 もう一つの改善点である、「大きな声で」はどうだったか。これもそこそこの効果があったように思う。2年前の放送から比べると、ずいぶん聞き易くなっていた。声の質が悪いのは、生まれつきだから仕方ない。アナウンサーK氏は、明瞭に響く、良い声の持ち主だった。わたしは生来の耳鼻科系の持病のせいで、いつも鼻声であり、不明瞭な発声である。それでも、二割がた声を大きくしたことで、ラジオを通しても、何とか聞ける感じにはなっていたと思う。

 放送は、5月29日に四回目を流して終了となる。その回には、リスナーへのプレゼントとして、本3冊の贈呈が告げられる予定である。私の次なる心配は、本を希望して応募するリスナーが、少なくとも3人現れるかどうかということである。

 さて、今回の出来事で改めて感じた事がある。それは、ラジオ・パーソナリティーという仕事の大変さである。

 番組の企画を考える。取材を申し込む。自ら喋ってインタビューをする。インタビューをしながら、話の展開を整理し、調整をする。録音したものを編集して、本番用に作り上げる。話の合間に挿入する曲を選ぶ。といった仕事を、全て一人で行うのである。ディレクターや放送作家と呼ばれる職業の人がやるような事を、一人でこなしてしまうのである。これにはよほどの才能と努力が要るだろう。情報を素材と考えれば、これもまた素材を生かすことを主眼とした、手仕事のモノ作りとも言えるのではなかろうか。



ーー−5/26−ーー 四阿屋山ハイキング

 20日の水曜日、家内とハイキングに行った。場所は長野県中部、筑北村と麻績村の境にある四阿屋山(あずまやさん)。筑北村は先年、坂井村、坂北村、本城村の3村が合併したものだが、それ以前はこの山の山頂で4つの村が接していたことになる。山名の由来は、そんな事にもあったかと想像した。

 自宅から車で約1時間。冠着荘という公営温泉施設の向かい側から林道に入る。最後の細い道は急傾斜で、対向車を交わす場所もなく、不安だった。登山口には駐車スペースがあるものの、縦列で停める形になるので、他の車がいたら厄介だろう。

 登山口のところに、みごとな杉の巨木があった。その根本に、木の枝で作られた杖がたくさん置いてあった。この山を登る地元の人が多いのだろうか。家内はそのうちの二本を借りた。

 とっつきは谷間状の斜面に付けられた急な道を登るが、ほどなく尾根上に出た。天気は快晴。新緑のトンネルのような道に、ところどころ赤紫のツツジが鮮やかだった。日頃運動不足の家内の足を気遣ったが、遅れもせずに付いてくるので、良いペースで歩き続けた。

 山頂が近づいたと思われる頃、里山では見慣れない樹が目立つようになった。それはブナであった。このような場所に、ブナの林があることは、ちょっとした驚きであった。安曇野周辺の低山を歩いて、ブナの林に入り込んだことは、今まで無い。家内は「これがブナなの?」と言った。馴染みが無いのである。ともあれ、予想もしなかったブナの林を見ることができて、嬉しかった。ブナの林は、大らかな雰囲気で気持ちが良い。新緑の時期は特にそうだ。

 登り始めて1時間半ほどで山頂に着いた。山頂にもブナの大木があった。家内はコシアブラを見つけて、若芽を摘んだ。似たような芽を付けた樹があったが、後で調べたらハリギリであった。別名センとも言う。私の工房の材木置き場にもセンの厚板が保管してあるが、立ち木ではなかなか見分けられないところが情けない。

 例によって、山頂でままごと遊びのようにして弁当を食べた。私はゆっくりしたかったが、家内はそそくさと片付けてザックにしまい込んだ。彼女は、途中で頂いた植物が、この日の陽気で傷むのを心配したようだった。

 それでも下山して車で帰る途中、冠着荘に立ち寄って温泉に入った。なかなか立派な施設だった。それにしては、入浴料が200円と安かった。展望風呂には、誰もいなかった。窓の外には、5月の陽光に映える緑の山があった。湯から上がり、脱衣場でブラブラしているとき、いつになく十分にリラックスして、心底満ち足りている自分を感じた。

 地味で、とりたてて言うほどのものでも無いが、実はこういう一日の過ごし方が、本当に贅沢な楽しみなのだと、最近になって思う。田舎暮らしの貧しい自営業だが、こういうことが気ままにできるというメリットはある。
 


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